アルチンボルド展に行ってきた。
こんにちは、へじんだよ。
いや、旅中なのに旅内容のブログ少ないだろへじん。
けどへじブログなんてそのようなものです。優しく見守ってあげてください。笑
本論に戻りますと、旅がスタートする8月2日の前日にTokyo Art City展(2度目)とアルチンボルド展に行ってきました。
Tokyo Art City展は水道橋、アルチンボルド展は上野。徒歩圏内なので、歩いてGO!!
ちなみに一回目にTokyo Art City展に行ってきた時の記事はこちら。
まず国立西洋美術館が実は初めてだったんだけど、かなり広くって驚いた。さすが国立美術館!
最近は国立新美術館によく行ってて、展示スペースが同じだけど配置や照明とか雰囲気全体とかが違うと「なるほど」って思ってたんだけど、国立西洋美術館は初だったからなんとも言えなかった笑
ただよくよく考えて見たら最近見た美術展の共通点があって、何かって言ったら「右回り」なんだよ。ミュシャも。アルチンボルドも。あと何か忘れたけど前見たのも。
気になって調べて見たらおもしろ発見!
西洋美術は右回り、日本の美術は左回り。
となってるらしい!というのも文章を読む時とかに、右から文を読むか、左から文を読むかが、こういう鑑賞する時の人の行動にも繋がってくるということ。もちろん絵画自体の中で視線の誘導もあるけど、なるほど。鑑賞する時も影響するのか。面白。
脱線したのを取り戻して...
全体的な感想をいうと不思議感満載。
ジュゼッペ・アルチンボルドさんはイタリア・ミラノ出身。マニエリスムを代表する作家。
今回は久しぶりに人と一緒に美術館に行って、その人が美術に詳しい(というかまずへじんが美術にそこまで詳しいわけではない)ので、色々話を聞いて「確かに」って思ったことをまず共有。
マニエリスムの前はルネサンス期。ルネサンスといえばの3大巨匠。美術全くわかりませんでも名前聞いたことありますのこの方達、レオナルド・ダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ。
ダヴィンチの「最後の晩餐」
なるほど。これがルネサンスの絵画か。ってなる。
そしてこの次にやってきましたマニエリスム
タッチっていうのかな。一つ一つの物体で見るとその雰囲気はルネサンスと変わらないけど、この考え方。なかなかすぎる。
「急に変わったのは謎いよね」とか話しながら美術展インしました。笑
展示会には意外と作品数は少なかったけど、一つ一つの作品が大きくって、またペアをなしていたりしていて、印象深かった。
作品は春夏秋冬と四元素がメインの作品として展示されていて、これが相互にペアになっていたよ。
春と大気
夏と火
秋と大地
冬と水
向かい合う作品は、そのペアとなることにも意味を持っていた。
基本的にはアルチンボルドか使えていた貴族の繁栄を願ってって意味だけど。
その中でもへじんが一番好きだったのは
春と夏かな。
もろアルチンボルド展のポスターに使われている作品の二つなんだけど。でもこれが使われるのがわかるっていうくらい、やっぱこの二つ作品はよかった。
っていう理由はとっても単純なんだけど。
その単純な理由は笑顔。
春と夏は笑ってて、口角は上がってるし、ほっぺたもそれぞれのアイテムを使ってピンク色に頬を染めてる。
笑顔が好きって気持ちはきっと誰も同じだよね。
特に春は他の作品に比べてすごく細かく一つずつのアイテムを描いた気がした。お花の繊細さが、そうやって細かく描くことでまた伝わってくる気がした。
春と夏が良かったっていう割に、やっぱ春が最高だったとか言いたいんだけど笑
春の華やかさや、心を暖かくしながら何かしらと爽やかな気持ちにさせるあたりは写真では伝わらないな。
美術ってやはり感動、「感情を動かす」という素敵な作用があって、もちろんどの作品もとは言えないし、人それぞれ心が動かされる度合いも違うと思う。それでもこうやって感情を動かせる媒体があるのならば、へじんはアートを通して人の心を動かしたい。
言葉で伝わらない何かを、涙や表情で伝わらない何かを、アートを通して伝えることはできるのかな。大切なことを、アートを通してなら伝えることができるのなら、そういう作品を通して伝えれたら、伝えることを手伝えたら、いいなと思う。
次に話したいことは、Kunstkammer・クンストカンマーについて。
17世紀初めナポリのフェッランテ・インペラートの「驚異の部屋」wikipedia参照
展示会に実際にあった作品
15世紀から18世紀らへんに、ヨーロッパで作られていた部屋で、美術品のみならず珍しいものを集めた部屋のこと。今の美術館や博物館の原型であると!
ちなみにKunstkammerはドイツ語で、Kunstがアート、Kammerが部屋・貯蔵室を意味するのです!
(へじんの言語の豆知識:ドイツ語はいろんな単語の組み合わせが一つの単語になったりするから初めて見る単語でも、意味の推測がとてもしやすいよ)
この部屋がアルチンボルドには作品作りにおいて影響をしていたらしい。これを知るとなんか理にかなってるとも思えてくる笑
前ディズニー・アート展に行った時、いろんなところで見て、感じた経験がいい作品を作れる的なことが書いてあって。実際ディズニーのアニメ映画を作る前はスタッフみんなで新しいところに旅してみて、そこから経験したことを作品へと変えて行っていて。へじんが大好きなモアナもその旅からなる作品。
アルチンボルドが旅をしていたかはわからないけど、こうやって新しい・珍しいものを見て、感じたことから作品作りをしたのなら、アルチンボルドがこれほどに新しいスタイルで作品を描いたことはとっても納得がいく。
新しい経験が、自分を広げることは前からわかっていることだけど、こうやってたくさんの表現家がその経験から新しいものを作っていて、それが人の心に実際響いているのを知ったら、どんなに老いても新しい経験をすること、挑戦をし続けることを止めることなんてできないよね。
最後に話したいのはこの作品にまつわること
にょん?
ってなるかもしれないけど、多毛症の少女をモデルに描いた作品。
もちろん当時は多毛症という病気という受け入れ方ではなく、神からの贈り物や魔法、と宗教ちっくな類で受け入れていたけど。
アルチンボルド展には別にアルチンボルドのみの作品が展示されていたわけではないけど、アルチンボルドらへんの時、多毛症や小人症などの外見に特徴のある人々に貴族などがかなりの興味を持っていたらしく、このような人々をモデルに作品作りもしていたらしい。
それもこのような人々を宮殿に住ませて、かなりいい教育を受けさせて。
多毛症の人をより増やすために、貴族と結婚させて子供を産ませたりも。
そう、かなりポジティブに捉えていて。
なかなか珍しいケースだなって思って。
だって頭の良い女性は魔女だって言われて差別されてた時代だってあるんだよ?
それより古い時代、この考え方はすごく珍しいケースに入ると思う。
それに今でも外見の特徴が差別に繋がったりする。
もちろんこの場合も「違うもの」として見ていたけど、ポジティブな興味とそれを知った上で共に過ごそうとする気持ちは、「異文化を理解しよう」、「多文化共生」という考えに似ていると思った。
へじんは差別が嫌だし、その経験はすごく大変だったし、その経験を他の人がするのも嫌だ。でもそれは悪い差別だったから。言葉で人を傷つけたり、離したり、へじんはそういう経験はなかったけど、暴力に繋がる差別もある。
けどこの場合は、寄り添って共に暮らしてた。もちろん多毛症の人を増やしたいからと貴族の人と結婚させられてたのはどうかと思うけど、ポジティブな興味と「もっと相手について知りたい」って気持ちは良しと捉えてもいいんじゃないのかな。
最近友達にラブホの上野さんのブログを教えてもらって、一緒に少し読んだけど
みんなの幸せになるなら不平等も差別も区別も平気で行う
的な文があって。
ちなみに記事はこちら
違いを知ること
それを良く見ること
へじんからしたら、
新しい文化を知るということは、違いを知ることでもあると思うのね。
そしてその文化を楽しんで、受け入れることができるのならば何も問題がない。
へじんはへじんの「違い」をポジティブに捉えてもらえるなら嬉しいし、そう捉えてもらえるならもっと伝えたいって思う。
だからその点で、この作品と描かれた時代にはすごく興味を持った。
へじんの夢はリアル・多文化共生社会を作ることで
お互いの差異をそのまま受け入れること。
その上で共に支えあったり、大切にし、尊重し合いながら生きること。
価値観のすれ違いはもちろんあるかもしれないけど、お互いを理解するためにちゃんと話し合えたり、その差を素直に受け入れられる社会。
夢に対してすごくポジティブな気持ちになれた。
アートに触れてる時、作品に直接関係ない部分でも力になってくれたり、考えを巡らせてくれたりする。
だからアートは素敵。
文字では伝えられないことも、伝えてくれる。
じゃあ、今日はここまで。
またね。