国際女性の日 : へじんは物申す!
こんにちは、へじんです。
3月9日は国際女性の日でした。
その付近では女性に対する平等について考えたりはしたけど最近は別に…
と性差別問題はまだ何も解決していないのに、またフツウの状態に戻っていないでしょうか?
だからこのタイミングで
へじん。
物申します。
へじん物申す!!
(二度言ってみた笑)
国際女性の日が女性の尊厳のためにあるのか、性の平等のためにあるのか、それともまったく関係のない何かのためかはわからないけど、最近考えてるのと近しいかもしれないと思い、今回書いてみようと思いました。
目次
日本の現状に物申す!
ここ数ヶ月 #metoo をよく見かけます。
日本だと、はあちゅうさんの告白によって、このハッシュタグと共に広がると思いきや、日本では秒で終わってしまいました。
このタイミングで#metooとは?
・「女性の尊厳を守ることに賛同します」という意思表明
・女性が故に受けた性暴力や性差別の告白
上記2つのことをする時に一緒に付け加えるハッシュタグです。
#metooはアメリカのハリウッドを中心に始まり、現在世界で広がっています。
隣国の韓国でも行われています。
日本より活発にです。
韓国ではフェミニズム運動という名の上でなくとも、「女性」とは何ぞやと、その固定概念や根付いてる偏見や差別に注目して色んな議論が行われたり、言葉を変えようとしていたりします。
韓国が他の国より性暴力・性差別で溢れているからではありません。
「国民性」とはあえて言いません。
けど韓国の女性陣を筆頭に積極的に行われています。(日本に住んでるから現地の様子を100%理解できないけど)
他の国でもそうです。
なんなら数十年も前からFeminismという単語は使われています。
ハリーポッターのエマ・ワトソンが好きなら、一度くらいは耳にしたではないでしょうか。
彼女は女優でありながらも、Feminism活動を行なっています。
映画『美女と野獣』で美女ベルを演じたエマは、お姫様役を演じる女優で初めてコルセットの着用を拒否しました。幼い子ども達が美の基準を細さに設けないように。女性の美しさを外見で決めないように。
とある日になれば、いろんな国で同時にFeminismデモを行うこともあります。いつかロンドン、ニューヨーク、パリでは同時にそのデモを行ないました。
日本ではデモというと否定的なイメージが持たれやすいですが、デモは平等のため、権利の主張のため、昔から行われている、必要であればする、至って普通なことです。
奴隷制度をやめるためのデモ。
庶民の生活に目を向けず、自らの優雅な無駄遣いのためにお金を使ったフランスの貴族に対するデモ。
女性にも自由な服装を。
コルセットを外して、ズボンでも何でも自由に着れるように、と行なったデモ(もちろんズボンは象徴的なものであり、女性も男性のように平等を、ということだが)。
こんな些細なことも、集団が集まり、声を出すことで、やっと社会は変わってきました。
そう、デモを行ってやっと社会は変わったのです。
デモを行えという訳ではありません。
ただ集団が集まって、声を出して、行動して、やっと社会は変わってきたのです。
日本の社会に目を向けてみましょう。
先進国の中ではかなりこの性の平等に対する認識は劣っているではないてしょうか。
また女性をただ性の対象として消費しやすくなっているではないでしょうか。
コンビニに行けば、子どもの手の届くところに羅列しているエロ本。
もちろん地球の全ヶ国を行ったことはないけど、先進国・発展途上国、また発展途上国にも満たない国々に行ったことはあります。そして子どもの届くようなところにエロ本が置いてある国は日本以外でまだ見かけたことがありません。
もちろんエロ本が悪い訳ではありません(中身は見たことないからちょっとこれも判断し難いけど)。しかしそうやってコンビニ等の誰でも手の届くところに普通に女性のはだけている姿が並んでいるのが、女性を性の対象としてのみ消費する思想に影響してないかといったら、否。バッチリ影響してると思います。
女性に対する固定概念に物申す!
「女性らしい」とは?
「女子力」とは?
わかります。この言葉たちが使いやすいから使っていること。みんながみんなそうでないとは知っていること。
しかしこれが、女性の理想像・典型像を決めてしまうのには繋がっていないでしょうか。
これが理想であると、これが良いと、そういう考えに繋げてしまっていないでしょうか。
家事ができて、ピンクが好きで、子どもが好きで。
実際男性がそうでも何もおかしくないことなのに。
ちなみに知っていますか。
ピンク=女
というイメージはここ最近になってできました。
それまでは女性の色などは特になく、何なら水色がそうでしたが、アメリカの元大統領夫人 / マミー・アイゼンハウアーがピンク色の服やアイテムを愛用し、それが流行のようにアメリカ女性の間に広まり、ピンク=女というイメージに繋がったのです。
流行であっただけで、それが全てではないのです。
なんなら最近ピンク色が大好きな男の子と授業が被りました。服の着こなしにピンクという差し色の入れ方がオシャレでした。しかし彼は女々しくもない。だからって男らしくもない。彼はただ「彼らしかった」。
楽なことを選んでる人に物申す!
「そんな細かいの気にしなくったっていい」
「考えすぎ」
よく言われます。
堅苦しいし、めんどくさいって。
なんでそう言ってるかもわかるけど、それに改善の必要があるなら改善すべきではないでしょうか。
よく度の激しい性の偏見に繋がる冗談やもちろん他の差別的な冗談を言う時、へじんはそれに対して言います。
それは良くないって。
差別的だって。
けどそれに対して帰ってくる言葉は
「冗談じゃん?真面目すぎるんだよ、つまんねえなー」
その冗談で傷ついてる人がいる。
その冗談で偏見が、差別が、より増える。
そんなこと思うとへじんは使えないし、笑えない。
自分が。
自分の家族が。
自分の大切な友達や恋人が。
苦しんでいます。
今は偶然差別にあってないかもしれない。
気づいてないかもしれない。
けど決して遠くにあるものではありません。
きっと笑っていられない。
冗談なんて言えない。
そんな冗談口から出せない。
なんならそんな差別的な冗談以外は使えないのかってへじんは思っちゃいます。それ以外話すことないのかって、つまんない人だってへじんは思っちゃいます。
今ある当たり前は、何年、何十年にも渡って「めんどくさい」という過程を踏みながら、今の社会に変わってきたのです。
日本にだってあったカースト制。
衣服や髪の自由。
仕事の自由。
情報の自由。
どんな些細な当たり前もそう。
声に出しまくって、行動しまくって、やっと今になったのです。
だから必要なのです。
最後に
女性とはなんでしょう。
正直最近「女性」って何かわかりません。
ストレートなら女性か。
レズビアンやトランスジェンダーは女性か。
子どもを10ヶ月お腹の中で育てる機能があれば女性か。
いやだけど、男性で子どもを2人産んだ人がいる。
「女性」ってよくわからない。
けど「国際女性の日」が人々に伝えたいことはこーーんな長い文よりもっとシンプルで簡単だと思います。
みんな平等
皆が同じ権利を持ち、
同じくらい大切にされるべき人であること。
フェミニズムなんてよくわからない。
わからなくってもいいです。
大切なのは
どんな人も意味不明な偏見で傷つくべきでない
どんな人も「その人」として見られるべき
それだけ。
フェミニズムは「女性」のみの権利を訴えているわけではありません。
すべての人の平等を訴えているだけです。
そういう意味で理解してへじんは、へじんがフェミニストであると言いたいです。
不平等に苦しんでる人。
偏見で傷ついている人。
性以外の何かしらの特徴で差別を受けている人。
私も苦しいからこそ、アナタと共に声にします。
声に出し続けます。
終わり。
またね!