へじんの19年 part1

こんにちは、へじんだよ。

 

 

 へじんは去年の4月ぐらいからずっと個人の韓国語教師をしてて、今は生徒5人持ち。年齢層もバラバラ50代から一番幼い子で中3。

 そんなつい最近の土曜、いつものように生徒さんとレッスンをやろうとしたら、「へじんさんがどうやって言語を学んできて、そう考えるようになったのか知りたい」って言われて。へじんの言語習得の過程ってもはや19年の人生でもあるから、その話をしてた。レッスン終わり、話しただけだからそのまま帰ろうとしたけど、いつも通りのレッスン費をもらった。「たくさん学べました。」ってメッセージがきた。相手は30代のサラリーマン。結構大きな会社で役職も高いし、これから二週間は沖縄で趣味生活楽しんでくるっていう仕事も自分のライフスタイルも充実してる人。羨ましいって思えるような生き方してる人。けどへじんの19年とその経験が、ある人にとっては面白いもの新しいものになるんだなって知った。

 

ということで、自分の話をしてみようと思う。

 

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こちらがベイビーへじん。

生まれた時髪が明るすぎて、外国人の子供産んじゃったのかなって思ったらしい笑

 

 

 韓国で生まれたへじんは、4歳まで母方のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでた。日本で出会ったお父さんとお母さんは、日本での安定した生活のために2人で頑張って生活基盤を作ろうとしてくれた。それまではおじいちゃんとおばあちゃんと。お父さんとお母さんのことはある時までたまに会える「お兄ちゃん」と「お姉ちゃん」って呼んでたらしい。両親だって知ったら離れたくないって思っちゃうかもって。だから幼いへじんにとっては、祖父母とおじさんおばさん、いとこが家族だった。お母さんが年の差がかなりある末っ子でもあったから、へじんはすごく久しぶりに見る赤ちゃん。みんなから愛情たっぷりもらって育ったから、こんな甘えん坊さん、悪く言ったらわがままになったのかも笑

 

 けどある日、「お兄ちゃん」と「お姉ちゃん」が両親だっていうのをわかって、離れたくないって思って、それでへじんも一緒に住むことになった。けど何回か日本と韓国を行ったり来たりした生活をしてて。自分がうっすらと覚えている記憶を辿ると、日本の生活に慣れて日本語が話せるようになると韓国語を忘れ、韓国に戻ってまた韓国語話せるようになると日本語を忘れの生活を繰り返してた。それも結構期間短め。子供の言語習得能力はやばいよ、ホント笑

 

 日本の幼稚園に通うようになったへじんは、普通に生活してたんだけど、名前を覚えるのが苦手で、かけっこも苦手で、かくれんぼが超苦手だった。タッチして名前言いながら「OOみーつけた」って言わなきゃいけないんだけど、名前覚えとらんし、走っても間に合わんし笑

 

 そんな日本に溶け込んだ生活をしていくうちにへじんは自分のことを「日本人」って思うようになったんだって。両親はへじんが「韓国人」であるというアイデンティティを失ってほしくなくって、韓国人小学校に通わせることにした。そこが日本での初めて韓国人コミュニティだったな。

 

ということで韓国人小学校に入学!

この時から身長は後ろから数える方が早いんだなってわかった!笑

 

 韓国人学校での思い出といえるものはないけど、なんか溶け込むっていうのが苦手で、若干のいじめ的なのにあってた。ある男の子がへじんのことが嫌いすぎて泣いてたのも覚えてる。なんだそれ。

 中身としては、普通の小学校と変わらないと思う。日本語でなく、韓国語ってだけ。あとは授業の半分は韓国語、半分は英語で学んでた気がする。で、第二外国語として日本語を学んで。

 この時から美術は大大大好きで、お絵かきとか工作とかはいつも楽しみにしてたな。新宿御苑に行って絵描くコンテストが毎年あったんだけど、3年通ってる中で3年連続銅賞。もう一歩が足りないみたいだ笑

 

 

そしてそんなある時。

 

 

 4年生になる直前、英語を学ばせたいと思ったお母さんはインド人が9割のインターナショナルスクールに転校することを提案した。3年間微妙ないじめもあったし、学校変えるのには拒否感はあまりなかった。いや、もはや環境を変えてみたかった。

 転校した学校は幼稚園から高校まで全部くっついた学校で、でもすごく校舎が小さくって、運動場もなかった。ハウス制度があって、イメージはハリーポッターのハウス制度と同じ。縦社会の4つのグループの内の一つに所属して、校内での生活においてコンテストなどを通してポイントをゲットするシステム。一年の終わりにポイントが多いハウスが優勝。まさにハリーポッター。毎朝アセンブリーっていう時間があって、そのハウスごとに交互に準備するんだけど、MC係もいたし、ニュースを準備してきて発表したり、天気も伝えたり、最後にはインドの国歌と校歌を歌って授業がスタート。はい、へじんはこちらでインド国歌を習得しました。笑

 授業自体で特殊なのだと、コンピューターの授業があったり、読書の授業があったり、体育の代わりにヨガの授業があったり、算数を学ぶはずの学年でも数学に範囲が及んでいたり笑 あっ、掛け算20段まで覚えさせられました。テストもある。ちなみにインド人飛び越えて算数・数学は大の得意。数学の先生が大好きだったってのもあるけど。今は過去の栄光ってやつです。

 部活的なのが授業に埋め込まれてて、文化系と体育系。へじんは文化系ではインドの伝統舞踊(一時期ロボット制作)を、体育系はサッカーを選択してた。

 ヨガは柔軟だったらしくすごく得意で、学校が珍しいってのもあってテレビ取材がよくあったんだけど、ヨガの授業の時にへじんがよく呼ばれてた。そういえばその取材で、当時超人気だった芸人さんが来てて、名前忘れたんだけど男の人2人組で、学ランとセーラー服着てて、セーラー服の方が超太ってる!笑 誰だ?

 インド舞踊はその時校外でも習い事として学んでて、発表会とかコンテストとかにも出たこともある。なんかインドフェスとか今もよくあるじゃん。そこでよく踊ってた笑

 そういえばここで第二言語としてフランス語を選択して、約5年ぐらい続けることになった。仏検2級取れるレベルだったらしいけど、飽きてやめて今ほとんどわからないっていうのがおぽち。

 うちの学校らしいというと、インドのお祭りがある時は学校でも行事を行う。1番のお気に入りのお祭りは「ディワリ」というお祭り。日本ではホーリーだけがっていうくらいホーリーが有名だけど、実際インドにはたくさんのお祭りがあって、三大お祭りのうちの1つがこのディワリ!学校ではこの時期にみんなでランタンを手作りして、1番美しく作った人が賞をもらう!+ハウスにもポイントが!(もちアート好きのへじんはかならず1,2,3位の何かしらパワポもらえてました♡)

 文化祭とかはいつもインドの神話の劇をしてて、クリシュナというヒンドゥー教の神様がいつも主人公!劇はミュージカルみたいな感じで、踊りあり、演技あり。へじんはクリシュナが生まれた時期の王様の2番目の息子の奥さん役した笑笑

 あとはねー、プレゼンをする授業がよくあって、この頃からパワポ使いながらプレゼンしてた笑 さすがIT強国・インド。

 

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 (http://www.culturalindia.net/indian-dance/classical/bharatnatyam.html)

(自分が踊ってる写真も探せばあるけど、実家のパソコンにある。残念。)

ちなみに習ってたのはこちらのBharatanatyam(バラタナティヤム)。こんな感じ。Kathak(カタック)もした時あったけど、Bharatanatyamの方が楽しかった笑

 

 

そうやって3年が過ぎた。

 

 

 そんなある日、インドより広い世界を見て欲しいと思った両親は、日本の国際系の中高一貫の学校に進学することを勧めた。インド学校大好きだったし、楽しかったからやめたくなかったけど、当時のへじんは親に逆らうとかなかったし、超順応な子だったから、受験勉強、といっても英語でのエッセイを毎日書いて、毎晩お父さんと面接の練習して、テストに挑んだ。

 結果合格。今でも思うのは、なんで受かったのかわからない。笑 へじんより英語できる人なんて超たくさんいたし、入る時から英検準1級とか持ってる人とかいたからさ。なんで受かったかわからないけど、見られてたのが言語力ではなく、へじんの中身の謎さだったら、なるほどって思う。笑 けど本当にうちの学校のシステムが知りたい笑

 

 

 

 これがおおざっぱなへじんの小学校6年生・12歳までの人生かな?

 

 振り返って思うことは、説明すると超長くなるってくらい、謎なバックグラウンドの持ち主笑

 

 へじんがいた色んな環境は、しっかり今のへじんを構成するのに大きく影響してる。

 

 この12年で、韓国語・日本語・英語のベースを築いた。同時に言語習得の感覚的コツも。フランス語は今後ドイツ語を習得するのにかなりの役割を果たしたと思うし、書いてないけど中国語も習ったことあるの笑 中国語を学んだことは日中韓の言語と文化の類似点と違いに興味を持たせることに繋がった。

 

 日本の幼稚園、韓国人学校、インド学校はそれぞれの国の文化がすごく溶け込んでいて、これはへじんが色んな文化に興味を持つきっかけにもなった。(そういえば書き忘れたけどフィリピンに2ヶ月住むのを2度経験していて、それも中々貢献したとは思うな。)

 

 韓国人っぽいところも、日本人っぽいところも、もしかしたらインド人っぽいところも、このような経験に基づいてる。

 

 けど、この後の中高6年間は、それまで以上に今の自分を形成するのに大きな影響力があった。それはまた今度の話。

 

 

じゃあ、今日はここで終わり。

またね。

 

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