仕事の選択 : ノマドとか普通とか どっちでもいいんじゃない?
こんにちは、へじんです!
4月に入りました。
私も本来なら大学3年生になる年でした。
同い年の友達は自分が行きたい会社や業界について調べたり、企業説明会に行ったり、そうでなくとも就職自体を少しは意識したり。
そう、就活が始まったのです。(まあ毎年あるけど)
そんな中SNSや日常生活を覗き込むと、仕事の在り方が多様化した分、それに対する考えや提案を述べる人も多くなりました。
場所に囚われないノマド的な働き方。
大学を卒業、もしくは中退、もしくは通いながらの自ら起業。
それぞれが自分に合った道を見つけ、進んでいる中で知ったことの共有。
良かったことの共有。良くなかったことの共有。
素敵なことです。
良いコトをシェアして、みんなも幸せになろうよ!楽しく仕事しようよ!って気持ちはきっと素敵なことですから。
しかしその中でも、お互いの仕事を否定するような、ズレ過ぎた意見を見ると残念に思います。
「えー、そんなこと言っちゃうの?」
「いやいや、それは良くないんじゃないかな…」
「お互いに反感を生むだけだよ…」
だから今日はこれについて書きたいと思います。
目次
仕事ってなんだろう。
仕事ってなんでしょうね。
お金を稼ぐこと。
なんで必要なんでしょう?
生活費を払うため。
趣味に使うため。
自分の健康のため。
家族を養うため。
すごくベーシックな理由は同じだけど、細かい理由はそれぞれだと思います。
けど生活を維持するためにはお金が必要ですよね。
そのお金を払って生きる代わりに、私たちは社会を動かす一部分となるのです。
自分の社会を豊かにするために、誰かの社会を豊かにするのです。
誰も仕事をしていないと、世界は回りません。
学生は勉強が仕事っていうけど、理にかなってます。
勉強して学ぶから、将来どこかしらで働ける人材になれる。
と共に、学生そもそもがいないと「先生」という職業は成り立ちません。
先生に職業を与えて、仕事にしてるのも学生であるとも言えるかもしれませんね。
仕事はただ働かされてる訳ではないです。
社会を回すためにすること、が仕事です。
そしてその社会は、多種多様なもので構成されているが故に、仕事も多種多様なのです。
新しい仕事の在り方が増えた。
最近は本当に様々な職業がありますね。
ユーテューバー、ブロガー、ライター、イラストレーター、とか。
けどよーく見たら昔からあるものです。
ただ技術の発展により、姿・形がもう少し増えたのです。
ユーテューバーは芸能人とテレビ等の映像を作る人が1つになった感じ。
ブロガーやライターは今まで本や新聞などの作家さんや記者さんが、ネット化した感じ。
イラストレーターは画家さん。(イラストレーターってぶっちゃけなんでしょうね。画家さんと同じものだと思ってるけど、サウンド新しく聞こえますよね笑 カタカナ効果?)
でしょ?
インターネットは当たり前の社会になった。
コノ、時代の変化によって以前より求められるようになったり、よりたくさんの人の目につくようになったりしたと思うんです。
新しいといえば新しい。
けど昔からあるといえば、あるとも言える。
だから職種が増えた、というよりは
職業の在り方が増えた、の方が正しい気もします。
今まではスタジオに行ったり、契約したり、どこかの一部に属さなかったりしなきゃいけなかったことが
パソコン一台で済ませたり、専門知識が始めからなくっても道具を揃えられたりできるようになり
お家やカフェ、旅行先でも仕事ができるようになったのです。(旅行が仕事とかね)
選択肢が増えることはいいですよね。
自分にとってのベストを探せるんですもの。
どちらにもメリットとデメリットはある。後は自分次第。
このように職業の在り方は増えていきましたが、バランスは違えど、どちらもメリットとデメリットはあると思います。
メリット
・自分の好きを仕事にできる。
・自由の発想を元に仕事ができる。
・場所や時間の使い方は自分次第。
デメリット
・専門性を上げることであれ、仕事を得ることであれ、どんなことも自ら行動しなくってはいけない。
・収入が決まっていない。
等々
会社で働く仕事の場合。
メリット
・安定した収入。
・決められた生活サイクルと内容。
・会社が決めてくれる。
デメリット
・一定の場所と時間に縛られる。
・人間関係を自分で決めれない。
等々
まあメリットとデメリットって、どちらにでも転がるものなので、分けるのもどうかなっていう感じなのですけど、うん。
「え、メリットじゃない?」
「え、それはデメリットだよ」
うん、そう思っても全然おかしくない。
だって人によって求めてる条件って違うし、楽しめることの範囲も違えば、苦になる範囲も違いますからね。
だって人間って本当に人それぞれじゃないですか。
似てる者同士はいても、同じ者同士っていないじゃないですか。
いたら多分ドッペルゲンガーだから、殺した方がいいと思うんですけど。(冗談)
だからそれぞれ自分の適性に合う仕事をすると思うんです。
それでいいと思うんです。
黙々と同じことを繰り返すことが好きで、楽しい人もいます。
どんどん新しいことしたいって人もいます。
変わらない安定が好きな人もいます。
とりあえず縛られたくない人もいます。
上記のことが混ぜ混ぜな人もいます。
(へじんです。淡々と作業するとなんか平和だし、けど新しい価値観や文化を学べる旅も好きで、でも安定したいつもの町を歩く生活も好きだし、けど飽き性で、けど縛られるのは嫌だ。めんどっ♡)
個性って作るものではないと思うんです。
ただその人自身が個性だと思うんです。
ただ表向きにめっちゃ出てる人と
そうでない人やまだ自分を探検しきれてないだけの人がいるだけだと思うんです。
「めっちゃ静かなあの人、個性ないなーつまんなっ」
ってその静けさが個性で、その中に貴方が聞いていない、見たことのない何かがあると思うんです。
だって人間だもん。
静か。
終わり。
なんてことない。
例えば実際私の中高にいました。
すんごく静かな子で、その子と小学校同じ人達しか知らなかったけど、とあるスポーツ競技で全国レベルの実力を持っていて通年努力していた子。学校で彼(彼女)にお願いして発表みたいなことがあった時知りました。
けど多分それ以外にも、その子らしい何かはあると思います。
そんなもんです。
向き不向きあるじゃないですか。
仕事にもあると思います。
提案であって、強制はダメ。否定もダメ。
金子みすゞの『みんなちがってみんないい』。
もうシンプルで、皆知ってるから好き。
100年ぐらい前から唄われてきたじゃないですか。
みんなちがってみんないい♪
のです。
「こんな仕事の在り方あるよ〜」
「こんな良いことあって、良かったの〜」
って提案。
「安定してていいよ〜」
「決められた生活が合う人もいるよね〜」
って提案。
考えが違うならば
「そうなんだ〜けど私には違うな〜」
「これが居心地いいの〜」
って。
こんな感じ。
これぐらいでいいのではないのでしょうか。
「そんな遊んでばかりの甘えた考えた持つんじゃねぇよ!」
「会社で座ってばっかでつまんねぇー人生(笑)」
そんなキツイ言い方必要かな?
相手を貶して、自己肯定感を得たいのかな?
みんな違うじゃん?
進む道違ったっていいじゃん?
もちろん
「私には無理(泣)」
と挑戦したいのにできてない人への後押しは必要かも。
けどとある道は「悪い」と断定してしまうのは良くないと思います。
誰かにとったら素敵な道だもん。
それにその仕事があるから、自分と、自分の大切な人の生活がある。
感謝して、尊重すべきこと。
まあ感謝するかしないか、尊敬するかしないかは個人の自由かもしれないけど、否定するのはちょっと違うかなって。
「不安定は良くない。君より年上だからわかる。」
良くないって思ってない人だっている。
それに生き方も、生きる環境もちがう。
向き不向きも好き嫌いもそれぞれなんだから、わからないんです。
だから提案や一回ぐらいのお誘いやステップを踏み込めない人への後押しはいいかもしれない。
けど相手の道を勝手に断定して遮断してしまうのは良くないと思うんです。
新しいものがみんなにとって革新的ではないし
古いものがみんなにとって安定したものではない。
似たような二項対立 : AOと一般
私すごく似たようなこと経験したことあって。
当時なんで互いに対する理解力なく、なんであんなに否定的なんだろってずっと思ってました。
それはまさしくもAOと一般の争い(?)。
(AOとは推薦や自己推薦で大学受験する組 ・ 一般とはセンター試験や一般入試等で大学受験する組)
物理的な喧嘩をしたわけではないけど、あの流れるピリピリ感が大っ嫌いでした。
もちろん一部であったりはするものの
一般はAOに対して、
「そんな簡単に大学入れるっていいね(笑)」
「私の勉強の大変さわからないっしょ?」
的な感じ
AOは一般に対して、
「何でそんな社会出たら使わないような勉強すんだよ、時間の無駄(笑)」
的な
それでもうどんどん溝深まる的な。
はぁ…悲し
AOだからって誰でも大学には入れません。
5科目勉強はしていないけれど、自分の専門分野においては深い知識を持っていたり、強い研究意志を持っていたり、もしくは優秀な学業を収められてきたからこそ、選択できる方法です。
一般もすごい選択です。
1年という殆どの時間を受験勉強に費やし、多種多様な知識を自分のものにします。社会に出たら直接使う機会はないかもしれないけど、その考え方や応用能力や理解力は社会で絶対に使われるものです。単純に知識としてももちらん。
私自身は世界史と倫理を選択してなかったのですが、最近になって勉強したくなったので高校を卒業する後輩から教科書を貰いました。
AOも一般も時間の使い方はそれぞれ。
AOは長い時間を掛けて専門分野の研究もしくは学業を少しずつ深めていったり、優秀な実績を残したり。
一般は主に高校2年後半からの一年と少し、みっちり全てに近い1年ほとんどの時間を使って勢いよく勉強したり。
同じ努力をして、同じ時間を掛けてるけど、その分配が違うだけ。
長期戦が得意な人もいれば、短期戦が得意な人もいる。
自分が行きたい大学学部に一般の入試制度しかない。もしくはAO入試という選択もある。
ただそれだけのこと。
なのに互いを軽視するのは本当に良くないです。
私の場合、仲良かった4人組の1人が一般でAO軽視があったので、めちゃ悲しかったけど、受験中ってのもあって何も言えませんでした。
それぞれ自分に合った選択をしてるだけたと思うんです。
私にとっての一番が、誰かにとっての一番とは限らないのです。
提案や助言はできる。
けどそれを選択することもその人自身。
と思うのです。
まとめ
変な争いはすごく苦手で、今感じているこの違和感が過去に感じたことがあるなーと思って、なんだろうなって思ったら受験の時感じてたものと似た感じでした。
だからその時は言えなかったけど(受験中にみんなの神経触って少しでもストレスになってほしくはなかったし)、今だから言えることだし、誰かにの〜んびり読んで考えてもらえたらなって思って。
後は「新しいが良い。古いのは遅れてる」的な雰囲気に飲み込まれて
「あれ、私は前のままが合ってるし、新しいスタイルはしてみたけど合わない」
「私間違ってるのかな...」
ってなりやすい気がするんです。
なんか新しいことしてないとだめなのかなって。
自分を変に追い詰めちゃう。
別に自分の好きを十分に極めているにも関わらず。
まだ「好き」を自分の中から見つけている最中にも関わらず。
時代の変化は早い。
もはやニュースよりTwitterやInstagram等のSNSを見てないと話についていけない。
ある程度のことをしながら、自分のペースで、けど全力で
自分にピッタシのコトを見つけていけばいいと思うんです。
それを行動に移していけばいいと思うんです。
強制であり、無意識であり、私たちは同じ社会を生きています。
嫌でも好きでも一緒に生きてる。
互いに互いが依存をしてる。
コンビニのアルバイトさんがいなくなるだけでも、生活は少し困っちゃう(コンビニハードユーザーのへじんより)。
一人一人を尊重して、生きてみたい。
そう、思ったのです。
じゃあ今日はここまで。
またねん!
追記:
イージーにノマドと普通で分けてみたけど、普通の定義もわからないし、ツイッターみる限りだと 「自分の専門とは関係なくスーツ着て会社で週5働く」が普通かなって思って、そう仮定して書きました。
けどノマドでも上記の普通でも、その他のどんな形の仕事でもどれも大切で、それぞれの選択を尊重すべきではっていう、そういう文なのです。一文にするとすごい短い泣